子供の春休みをきっかけに幼稚園から持ち帰ってきた
誰も面倒を見ないチューリップのお世話係りをしております。
先日そのチューリップが綺麗に咲きましてね。
久しぶりに心が少しだけあったかい気持ちになりました。
ども、家の中ではチューリップが友達。園芸員のCOBUです。
そんな優しい園芸員の私も、
子供と接していると怒ってしまうことがあります。
よく無いなぁと思うこともありまして、
その時は親としてではなく、
いち人間の礼儀として素直に謝るようにしています。
街でもよく目を光らせて周囲をみていると、結構怒っている人っていますよね。
首都圏で仕事をしていた時なんて、
満員電車の中では大体怒っている人を見かけるものです。
そんなことを考えておりましたら、
なんで人は怒りという感情が芽生えてしまい、その後相手に怒ってしまうのか?
ってふと考えておりました。
(仕事中に・・・はい。サボってますよ。何か問題でも??w)
今日は「怒り」がテーマです。
人は怒りがきっかけで人に怒るのではなく、怒りたいから怒りという感情を使っているのでは?と思ったよって話
前述のようなことをかんがえておりましたら、
ふと、昔読んだ本のことを思い出しました。
それはアルフレッド・アドラーという
心理学者の方の本でして。
知っている人は知っている。知らない人は知らない(当たり前か。)
アドラーですけど。
皆さんは書籍見られたことありますか?
数年前に私は何冊か読んでいるのですが、
心理学者といえば
有名なのが
「フロイト」とかでしょうか?
フロイトさんは、私の薄っぺらい知識でいうと
原因論がベースとなっている心理学でして。
どういったことかと言いますと、
今回の怒りってテーマで説明すると、
誰かに怒って殴り合いの喧嘩をしてしまったことがあるとします。
それを原因論の心理学で説明すると、
「怒りの感情が相手に芽生えてしまい、それによってその人を殴った」
ってことになりまして。。。
そしてアドラーさんの場合は、
「使用の心理学」なんて言われていることもあるそうですな。
同様のケースで考えてみると、
「その人を殴るために[怒り]という感情を作り上げた」
って考え方になります。
要は感情ってのは、
勝手に出てくるのもではなく、
自分自身でその感情を(今回なら怒り)
引っ張り出して使用している
っていう考え方ですね。
これって結構的を得ている考え方だなぁとも思うわけです。
私の場合子供に説教をしてしまっている時のことを思い出してみますと、
・子供がいつまでたっても遊んでいておもちゃの片付けをしない。
何度自分が「片付けしてね」といっても言う事を聞かない
という状況で、
怒りたくて
[怒り]という感情を引っ張り出してきて
「おらーーてめぇこのやろーーー」てきな感情に流されて
怒ってますよって感じを、自分で作り出しているのでは?
と思ったわけです。
結局、怒りなんて大体、自分都合の考えで
生まれるものだと思わされまして。
今回の子供に説教をしたことも、
結局は自分のタイミングで、片付けをしてほしい
と思ったことがきっかけで、
子供はまだ遊んでいたいわけで。。。
それって別に今すぐ片付けしないといけない状況だったのか?
って冷静に考えると
別にあと30分くらい遊んでてもいいじゃない?
って感じもしたし。
ようは自分のエゴで怒りという感情を引っ張り出して
子供を自分が思うようにコントロールしようとして叱ってしまっている。
これは反省です。
こういった感情で動いてしまう的な考え方って
悲観的な人とかに結構多い気がするんですよね?
過去にいじめられた経験があって嫌な思いをしたから、
現在も人見知りなんだ・・・
とか。
アドラーさんから言わせたら
それって今現在、人見知りっていう自分の行動を
昔の嫌な経験をした感情を引っ張り出してきて、
それが理由で、できないってことにしているんじゃないの??
って言われそうです。
そんな事を思いながら、仕事をサポっているCOBUでした。
よし。今日はおもいきり 子供と馬鹿騒ぎして遊ぼっと。。。
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